トスカーナ地方の都市の歴史

ここで面倒なのですが、 そもそも、この地域はエトルリア位から文明の痕跡があります。 


その後、ローマに併合されますがローマ人というのは合理的な武士の部族で平定していった地域には平野部に都市を作り立派な石畳の道を作ります。あくまでも、軍事的な理由の道でなるべく真っすぐ作り、その結果がシーザーなどが、一気にイタリアに戻って来たりフランスを征服を数年で出来るもとに、なったのです。


ゲルマン人の移動で、イタリア半島はゴート族が支配したり、東ローマ帝国の巻き返しがあったりして、 困ったのは、ローマ教皇です。 ゲルマンでも少々困ったランゴバルト族が北イタリアを占拠、一部ラヴェンナを東ローマが占領。 ぐちゃぐちゃ状態です。

その時に、ヴェネチアが、海に逃れた人で産まれたという説があります。


そこであらわれるのが、フランクです。 


カトリックに改宗した珍しいゲルマンで、ローマ教皇となれ合いで、ランゴバルトの討伐、ラヴェンナから東ローマ帝国をほっぽります。しかし、あくまでも、東ローマの家臣という、手紙も送り、まだ強固な東ローマとは戦わないのがフランクのずるい所です。


 その時、フランク王国はかなりのイタリアの部分をローマ教皇にあげました。それが、ローマ教皇領の始まりです。 が、当然全部あげたわけではなく、将来ドイツ王兼イタリア王になるわけで、トスカーナ辺りは、フランク王国の領地になります。


そして、トスカーナや、ミラノ周辺はローマ帝国領土(実はフランク王国領)になり、トスカーナには、トスカーナ伯領が作られます。 


その後、フランクが分裂し、ごちゃごちゃした後、西フランクがフランスに、中フランクと東は一体化し、ドイツ、イタリア王の兼任となり、そのドイツ王が神聖ローマ帝国皇帝という流れになります。

が、当時は神聖なんてついてなくて、ローマ帝国と名乗ってたんです。 ところが、イタリア人にしてみたら、ドイツは元もと蛮族ですし、ローマ法王も世俗の支配は適当なので、神聖ローマ帝国のイタリア部分と、ローマ法王領にどんどん、コムーネ、小さい街が産まれていきます。当初なれ合いだった、法王と皇帝は今度は争うので、此のあたりは法王派、皇帝派の街に別れ、闘いを繰り返します。 これが、イタリア人の、身勝手且つバラバラの国の始まりになったんでしょう。 


この時にエトルリア起源の山の上の街が復活したり、ローマ起源の街〜フィレンツェみたいな平野の街が誕生したのは、ローマ時代の道が完全に回復せず、流通の経路が異なったからで、フィレンツェはローマ道にあり、シエナはその前の道にあります。


サンジミニャーノや、シエナが経済力を持ち、トスカーナではフィレンツェと覇権を争えたのは、ある時期までは、主な街道にあったからです。


が、ローマ時代の道が復活すると共に、次第にトスカーナではフィレンツェが主流になっていきます。今の街を見ても、既にルネッサンス時代にはシエナとフィレンツェはかなり経済力に差があるな〜と思います。此の時代、腐敗したローマ人の子孫ですから、コムーネ=都市の連中は、ギリシアやローマの都市国家みたいに、市民=軍人ではありません。


あくまでも、軍人は、傭兵で戦争はコムーネの経済力次第でした。 その傭兵隊長自身がより小さい、コムーネのトップだったりするから、面白いと云えば面白いのですが。


ただ、何故都市国家が、領土を争い領地を広げたのか。 都市は人を自由にするという、壁に守られた、街で職人、商人の街では無いのか、という疑問が産まれます。


経緯は不明なのが中世ですが、トスカーナ伯の元、元ローマの貴族やゲルマン貴族がトスカーナを本来、分割支配していました。 コムーネの発達と共に、その郊外の貴族との争いが激化します。

ドイツでは、あくまでも都市は帝国都市、領地は貴族の持ち物で別れてましたが、イタリアでは皇帝の庇護もなく、都市の経済力を支配下にしたい貴族と、うっとうしい貴族を征服したいコムーネが争います。


経済力をつけ、傭兵も雇える様になったコムーネに殆どの貴族は屈服しますが、周辺の土地を保有したまま、コムーネに移住し、そこで貴族的な振る舞いや、見栄で塔を乱立させます。

今はサンジミニャーノが有名ですが、どこも塔だらけだったのです。

その、貴族層とコムーネで成功した商人層は次第に融合し、有力者となっていきます。 そして、人間真似するもので、商人層も半貴族化し都市保有をしたがります。

また、ドイツ王や、ローマ法王軍から身を守るにも周辺の都市を傘下に納めた方が、都合が良い訳です。

という、訳で、ドイツのハンザ都市や帝国都市とは異なり、イタリアのコムーネの特徴は、中での内紛(皇帝派VS法王派)、コムーネ同士の勢力争いが中世を通じて続きます。

ある程度、収まるのは、一つの地域がまとまる16Cまで続きます。


ので、未だに、イタリアの都市は余り仲が良くありません。シエナでフィレンツェを褒めたりしちゃ、駄目です。


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